LOGIN久しぶり。
その四文字が、いちばん嫌だった。
責めたいわけじゃない。
心配している。 誤解を解きたい。 君のためにも、彼女のためにも。そういう言葉は、まだ構えられる。
来るぞ、と分かる。
優しい顔をした縄だと、こっちも分かっている。 首にかかる前に、少しは身を引ける。でも。
久しぶり。
その言葉だけは、違った。
昔の扉を、勝手に開けてくる。
喫茶こもれびのカウンターに、俺のスマホが置かれている。
画面には、神谷レンからのDM。
神谷レン:久しぶり。ちゃんと話せないかな。いろいろ大変なことになっているみたいで心配してる。昔の
第45話 久しぶり。ちゃんと話せないかな 久しぶり。 その四文字が、いちばん嫌だった。 責めたいわけじゃない。 心配している。 誤解を解きたい。 君のためにも、彼女のためにも。 そういう言葉は、まだ構えられる。 来るぞ、と分かる。 優しい顔をした縄だと、こっちも分かっている。 首にかかる前に、少しは身を引ける。 でも。 久しぶり。 その言葉だけは、違った。 昔の扉を、勝手に開けてくる。 喫茶こもれびのカウンターに、俺のスマホが置かれている。 画面には、神谷レンからのDM。神谷レン:久しぶり。ちゃんと話せないかな。いろいろ大変なことになっているみたいで心配してる。昔のことも、今のことも、誤解があるなら解きたいと思ってる。僕は君を責めたいわけじゃない。むしろ、君のためにも、彼女のためにも、ちゃんと向き合いたい。 何度読んでも、文字は変わらない。 優しい。 柔らかい。 乱暴な言葉は一つもない。 だからこそ、吐き気がする。 怒鳴られた方がまだ楽だった。 罵倒された方が、俺はたぶん怒れた。 ブロックもできた。 スクショを保存して、「見ろ、こいつはこういう奴だ」と言えた。 でも、これは違う。 これを他人に見せたら、たぶん半分くらいの人は言う。 話せばいいじゃん。 向こうは心配してるだけじゃん。 責めたいわけじゃないって言ってるじゃん。 逃げてるのはそっちじゃないの? 分かっている。
第44話 商店街、二度目の防衛会議 商店街の会議というものは、だいたい始まる前から少し揉めている。 椅子が足りない。 誰がどこに座るか分からない。 会議用の机ががたつく。 お茶を出すのか白湯を出すのかで揉める。 八百屋の親父さんが「俺は立ってる方がいい」と言いながら、結局いちばん邪魔な場所に立つ。 日向弁当の母さんが「座ってください、邪魔です」と笑顔で刺す。 模型店の朝比奈さんはなぜか小さな工具箱を持ってきていて、ゲーセンの朝日さんは「会議って何分くらいっすか」と最初から帰りたそうな顔をしている。 そして、源三さんは入口近くで腕を組み、全員を見渡して言った。「今日は遊びじゃない」 その一言で、一瞬だけ空気が締まった。 締まったのだが、八百屋の親父さんがすぐに言う。「じゃあ、この大根は遊びじゃねえな」「何で大根を持ってきたんですか」 俺は思わず聞いた。 昨日の大根とは別の大根だった。 一本ではない。二本。 会議机の端に、白く長く横たわっている。「源さんが昨日、大根を持ってったろ。だったら今日は俺も持ってくるだろ」「その理屈が分からない」「商店街ってのは流れだ」「大根の流れ、要ります?」 芽衣が横から言うと、八百屋の親父さんは真顔で返した。「要る。大根は煮てもおろしても使える」「会議の汎用性みたいに言わないでください」 こはるが、窓際の席でホワイトボードに小さく書いた。【大根は強い】 俺は頭を抱えた。「それ、昨日から残ってるやつだろ」 こはるは少しだけ目をそらした。【記録です】「何で
第43話 誰かを責めるためではありません 誰かを責めるためではありません。 その言葉を見た瞬間、俺は思わず笑いそうになった。 笑える状況ではない。 むしろ、胃の奥は冷えている。 手のひらもじっとりしている。 喫茶こもれびのカウンターには、白湯と、資料と、スマホ避難箱がある。 それでも、笑いそうになった。 人間は、本当に嫌なものを見た時、怒る前に笑いそうになることがある。 誰かを責めるためではありません。 便利な前置きだ。 そう言っておけば、その後に何を言っても、自分は責める側ではなくなる。 責めていない。 心配しているだけ。 攻撃していない。 向き合おうとしているだけ。 追い詰めていない。 守ろうとしているだけ。 神谷レンは、そういう場所に立つのが昔から上手かった。 自分は少し高いところに立つ。 優しい顔をする。 悲しそうな声を出す。 そして、周りが勝手に火を運ぶのを待つ。 夜。 こもれびは閉店していた。 札は準備中。 カーテンは半分下ろしてある。 店内の明かりは少し落として、テーブルの上には白湯が人数分。 喫茶店なのに、全員白湯。 もう、この店は何屋なのか分からない。 だが、今日はコーヒーを飲む気にはならなかった。 苦味を増やす余裕がない。 俺たちは神谷レンの配信を直接見ない。 真柴さんが確認し、必要な部分だけ共有する。 そう決めていた。 画面の向こうの真柴さんは、いつもより無表情だった。 無表情というより、表情を消している。 余
第42話 火を運ぶ人たち 火をつけたのは誰か。 その問いは、思ったより単純ではなかった。 昔の俺は、炎上した時、ずっと犯人を探していた。 誰が最初に切り抜いたのか。 誰が悪意ある字幕をつけたのか。 誰が拡散したのか。 誰が俺を笑ったのか。 誰が、俺の言葉を俺のものではない形にしたのか。 でも、古い夜更かしから届いた資料を見て、少しだけ分かってしまった。 火事は、マッチ一本で起きるわけではない。 乾いた木がある。 風がある。 油を持ってくる人間がいる。 火種を拾う人間がいる。 遠くから「大変だ」と言いながら、その火を見世物にする人間がいる。 そして中には、自分では火をつけないのに、火種を落とさず運ぶのが妙に上手い人間がいる。 神谷レンは、たぶんそういう人間だった。 朝の喫茶こもれびは、昨日より静かだった。 静かというより、みんなが声の出し方を探している感じだった。 カウンターの上には、真柴さんが整理した時系列表が置かれている。 俺の昔の炎上。 神谷レンの発言。 その直後に出る切り抜き。 暴露系配信者の配信。 まとめアカウントの拡散。 神谷レンの「攻撃は望んでいません」。 さらに広がる動画。 そして今。 匿名ラジオ。 月乃こはね疑惑。 黒い車。 逆ギレ切り抜き。 責任から逃げるな。 誰かに言わされていないか。 線を引くと、嫌なほど似ていた。 もちろん、それだけで証拠にはならない。 似ている。 不自然だ。 タイミングが重なっている。 それだけでは、まだ誰かを裁け
第41話 古い夜更かしからの資料 資料、という言葉は乾いている。 紙の匂いがする。 ファイル名がついていて、日付があって、どこか感情から遠い場所に置かれている気がする。 だが、古い夜更かしから届いたそれは、乾いていなかった。 むしろ逆だった。 開いた瞬間、ずっと昔に燃えたはずの夜が、まだ煙を吐いているのが分かった。 朝の喫茶こもれびは、開店前から重かった。 窓の外では、八百屋の親父さんがトマトの箱を並べている。 日向弁当の方からは、揚げ油の音がかすかに聞こえる。 ゲームセンターのシャッターは半分だけ上がり、いつもの古い筐体の光が、眠そうに床を照らしていた。 世界は普通に朝をやっている。 それなのに、こもれびのカウンターの上には、俺の過去が置かれていた。 スマホの画面。 古い夜更かしからのDM。古い夜更かし:おはようございます。昨日の続きです。資料を送ります。見たくないものもあると思います。すぐに全部見なくても大丈夫です。でも、消さずに残しておいてください。 その後に、いくつかの画像と、テキストファイルが送られていた。 俺は、まだ開けずにいた。 コーヒーも淹れていない。 白湯だけがある。 こはるは窓際の席に座っている。 今日は声を使わない。 昨日も使っていない。 真柴さんの業務指示は継続中だ。 ホワイトボードには、短くこう書かれている。【無理なら、見なくていいです】 芽衣は、開店前の日向弁当から抜けてきた。 手には補給袋。 顔は真剣。 髪は少し跳ねている。
第40話 誰かに言わされていないか 誰かに言わされていないか。 その言葉は、朝の喫茶こもれびに、昨日の白湯より冷めた温度で置かれていた。 神谷レンの投稿。「彼女がそう言うなら、なおさら心配です。 彼女自身の言葉なのか、誰かに言わされていないか。 僕はそこを、ちゃんと確認したいと思っています」 ちゃんと。 また、その言葉だ。 ちゃんと確認したい。 ちゃんと説明しなさい。 ちゃんと向き合ってほしい。 ちゃんと責任を取れ。 ちゃんと、ちゃんと、ちゃんと。 ちゃんと、という言葉は便利だ。 それを口にした人間を、少しだけ正しい側に置いてくれる。 俺はスマホを見ながら、指先が冷えていくのを感じていた。 昨日、こはるは声を出した。 短い音声投稿だった。 自分の名前を出さずに。 俺の名前も出さずに。 誰かを攻撃せずに。 それでも、はっきりと自分の言葉で言った。 この人は、完璧な人ではありません。 でも、今ここで、白湯を出してくれた人です。 私は、この人に救われました。 だから、この人を燃やすために、私の名前を使わないでください。 それを、神谷レンは疑った。 言わされているのではないか。 その一言で、こはるの声はまた、彼女のものではなくなりかけていた。 いや、違う。 奪おうとしている。 あいつは、心配の顔で、こはるの言葉の持ち主を奪いにきた。「悠斗兄」 芽衣の声がした。 俺はスマホを見たまま答える。







